むるむる ブログ

なんとなく、なんでも雑記

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ベトナム旅行記 2015年

お昼ごはん。なんというレストランか分からないが、ベトナム旧家風でいい雰囲気。
中庭があり、中庭にブッフェ形式で料理があるので好きに取ればよい。
ちゃんとフォーもあるし、寿司もあるし、グリルで肉を焼いてくれたりもする。
しかし、普通のベトナム人はこういう店でお昼を食べたりはしないんだろうな。観光客かブルジョワしか来ない雰囲気が漂っている。内装もベトナム風というか、中華風というか、微妙にレトロフューチャーインドシナ(いま作った)な感じ。
ちょうど良い時間に入ったらしく、食べ始めてしばらくすると中国語を喋る団体がやってきた。
連中より先で良かった。後だと軒並み食い尽くされてたな。

Post date : 2018.01.17 12:34
ベトナム旅行記 2015年

ホーチミン廟を見学する予定だったが、すごい人人人。人の列がものすごい。
ホーチミンの遺体が安置されているが、ホーチミンの遺体はロシアの技術で保存されているそうで、度々処理の為にモスクワへ行ってしまうので、見られるのは運がいいとガイドは言っているのだが、この列に並んでまで見たいとも思わない。
皆同じ思いだったようで、「この暑さでこの列に並んだら死にかねない」という意見で一致したので、遺体を見るのはやめて、廟の周辺散策だけを行う事になった。
廟を出た後は自動的にホーチミンの家や執務室を見学するコースになっている。我々は廟の出口からこのコースに入ったことになる。

ちなみに、ホーチミンという人はベトナムの初代主席で、腐敗とは無縁の高潔な人物であったとして尊敬を集めている人物。
生涯独身で自伝の類も残していない。全国民的に”ホーおじさん”と呼ばれて親しまれているとの事。

ホーチミンの家は、国家主席の邸宅としては非常に質素で実利的。人柄が偲ばれる。

さて、はやりここにも資本主義が浸透していると言うべきか、ホーチミン見学コースを出たところは、お土産やジュース・アイスクリームなどが購入できるようになっている。
高潔な人物の遺蹟を見た後でも、この暑い中をさ迷い歩いた直後に資本主義的退廃的なアイスの誘惑に逆らう事などできるのだろうか、いいやできはしない!
やさしいホーおじさんの事だもの、それぐらいの事は許してくれるさ。それに、俺はベトナム人じゃないし、全身、資本主義社会に染まってしまっている日本から来たのだもの。どうしようもないさ!

という事で、アイス買うのに500,000ドン紙幣を出したら、あからさまに嫌な顔をされたが、ちゃんとおつりくれた。
ごめんよ、高額紙幣しか手許になかったのさ。

しばらく休憩の後、出発。
バスまで歩くが、歩道の両脇に土産店が軒を連ねる。ベトナムらしい三角の帽子や、軍の帽子、ベトナムの風景葉書、おもちゃ、なんやらかんやら売っている。大抵はドルが使えるのもベトナムらしい。

車道まで出て、バスがやってくるまで暫く道路前で待ち時間があったのだが、どこからともなく自転車でパンを売り歩くおばさん登場。バスがやってくるまでにパン売りおばさんは3人に増えた。観光客にはパンが売れるものなんだろうか??

Post date : 2018.01.17 12:32
ベトナム旅行記 2015年

なんというか、旅行に来ているからだろうか? 6時頃には目が覚めてしまった。
しばらくぼーっとテレビを見るが、起き抜けなので内容は全く頭に入ってこない。英語放送というのもある。なにやってたのか覚えてないけど、Discoveryチャンネルだったのは覚えている。
ベトナムと言えども、世界を席捲するグローバル化の波には逆らえないものらしい。看板やサービスも結構アメリカンな感じがするし、銀行のロゴマークがどうみてもアメリカ的デザインセンスだ。最大手らしいベトコンバンクのロゴは、間違いなくADOBEの製品でデザインされている。また、ATMコーナーが町中のいたるところにある光景は、社会主義国家的とは思えない。資本主義国ナイズされた光景。
ちょっと残念なのは、やはり遅れが目立つ所。
例えばコンビニが全く見当たらない。ホーチミン市にはファミマが進出しているらしいけど、ハノイではホアンキエム湖の近所でサークルKを一軒見つけただけ。
スーパーも、少なくともホテルの周辺1ブロック圏内には無かったし、ツアーバスの中からも見つけられなかった。全く無いという事は無いんだろうけれど。
朝のヒマな時間にホテル周辺を歩いてみた。
活気はとてもある。屋台で朝食を食べる一般市民がたくさんいる。ただし、この屋台で俺はとても食べられない。申し訳ないが。
向かいもホテルだし、バイク屋、銀行、ファッション企業、色々見つけたが、庶民の暮らしも垣間見える。
とても垢抜けた場所とは言えないが、悪い雰囲気ではない。こんな都会のど真ん中で野ざらしの草が所々はえた露天駐車場があったりとか、言葉で説明するのは難しいけど、発展途上国の魅力と言えばいいのだろうか。大阪よりも人間味を感じるあたり、東京人には好き嫌いがはっきりわかれる街のように思う。

俺は好き。
しかし、一人で来るのはちょっとばかし勇気がいるな。そんな感じ。


チェックアウトした。

今日でベトナムも最後。離陸は夜中0時過ぎの予定。ほぼ一日使える。イエーイ。
バスに乗り込む。
昨日ホテル前の街路樹が軒並み嵐で倒れたので、バスがホテル前の道路で待っている。ちなみに、この道路は片道3車線の道路。3日目になると、信号が無いこの道路もちゃんと横断できるスキルが身についているのだから、人間の適応能力はなかなかすばらしい。
ゆっくりはダメ。走ってはダメ。立ち止まってはダメ。一定速度で歩けば、バイクも車も人間をよけて行く。フォースが使えるようになった気分だ。

Post date : 2018.01.17 12:29
ベトナム旅行記 2015年

夕食は Quan An Ngon というレストラン。
とにかく人気で安くて地元民もよく行くチェーン店のレストランらしい。
1階は屋根が開放式だけど、今日は小雨が降ったり止んだりの天気なので天井が幌で閉じられている。日本でも工場や荷捌き場なんかでたまに見かける開閉式の屋根になっている。我々の席は2階。

とにかく混雑していて頼んでもなかなか来ないという事なので、ガイドに適当に頼んでもらったら、えらい事になった。
大皿料理がいっぺんに出てきてしまったのだ。テーブルにとても乗り切らない。
急いで食べる。どさーっとテーブルに料理が出てくる。急いで食べる。どさーっとテーブルに料理が出てくる。
めまぐるしい夕食になってしまった。もうちょと、考えて出して貰いたいものだ。この辺の融通の効かなさは困ったものだ。

味は良い。しかし、超満腹になってしまった。頼みすぎ。
最後の料理はもう入らなかった。

今日もナイトマーケットへ行こうという話だったが、嵐が通り過ぎた為に中止になったらしい。無理も無い。

時刻はもう午後11時になろうとしている。今日は一日バスと船の乗物三昧だったのでさすがに疲れた。
明日は寝坊ができる模様。朝10時フロント集合との事なので、ゆっくり寝よう。

Post date : 2018.01.17 12:24
ベトナム旅行記 2015年

バスに乗り、帰路につく。バスは走る。
トイレかタバコか、きっと誰かが言ったので予定外に停車。
バスが止まったのはいかにもローカルな露天商の前。バラックというのが似つかわしいつくり。トイレは奥にあるが野ざらし。ヤシの実の残骸が地べたに無造作に積み上げられている。
トイレから戻ると、バラックで誰かがサトウキビのジュースを頼んだらしく、回し飲みがまわってきた。甘い。
それにしても、この環境でもしぶとく商売を行っているバイタリティが素晴らしい。今の日本でこういう商売はさすがに見かけない。


再び出発、しばらくして、行きとは違う国営の土産店にてトイレ休憩。
こういう店は、必ず観光客価格になってるな。高い。やたらと店員が多い。大抵日本語を話す。
「高くなーいよ」「おぃしい」「さいこぅひんしつぅ」なんていう高度な日本語を駆使して、我々を篭絡する。手ごわい。
そして、なぜか簡単に倒れそうなレイアウトでバカ高い壷や花瓶やオブジェが置いてある。明らかにワナだ。
トイレに行くときには気をつけたい。特にデイパックを背負っている人は十分すぎる注意を払って貰いたい。正値は100万円以上ついている。そんなはずないと思うけど、壊したらむこうの言い値でも仕方がない。
相手は国営なのでどうやっても勝ち目は無い。できれば近づかない事。しかし、トイレに行くにはどうしてもそういう危険ゾーンを通過するようになっている。困ったもんだ。

トイレした後は、チョコなどが並ぶ安全ゾーン近くをぶらぶらしてから、出口で待ってた。
さて、またまた出発。


バスの前方、遠くにドス黒い雲が沸いている。
雨が降り出した。
結構などしゃ降り。スコールというやつだろうか?

ハノイ近郊になると、雨は止んだ。
橋の上ではトラックが横転している。事故だろうか。

市街地に入ると、イオンモールが建設中だった。勢いあるなイオン。
日本大使館があった。広い。アメリカ大使館のせせこましさと比較してしまう。かつての敵国には、それなりの対応を取っているという事かな。

ハノイはフランス支配時代の影響か、道に街路樹が多いが、そこかしこで倒れている。どうやらハノイを嵐が襲ったらしい。
翌日、ガイドに聞いたら、2名死者が出たそうだ。結構な被害が出ていた。
ホテル前の街路樹も全て倒れていた。かなりな被害だった。

Post date : 2018.01.17 12:21