むるむる ブログ

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あなたは「熊本地震」と聞いて、もうずいぶん前のことだと感じていませんか?

「熊本城?もう天守閣も直って、復興したんでしょ?」

そう思っている方がほとんどかもしれません。しかし、今回、実際に熊本城を訪れてみて、その認識が完全に間違っていたことに気づかされました。

私たちは、2024年5月([00:10] の映像)に熊本城を訪れました。
そこで見たのは、メディアの報道では伝わりきらない、8年経ってもまだ終わっていない、壮絶な復興の現場でした。

あなたの想像を遥かに超える、現場の衝撃的な真実をお届けします。

通常経路は閉鎖!「仮設の鉄橋」が唯一の命綱だった

現在、熊本城の天守閣にたどり着くには、普段私たちが歩く道ではありません。

かつての大手門から入る通常経路は、大規模な補修作業のため立ち入り禁止になっています。
代わりに利用するのは、地震後に設置された「仮設の鉄橋」([00:43])。
この仮設の鉄橋を歩いているとき、多くの人が目を奪われていた光景があります。それは、鉄橋のすぐ脇にそびえ立つ、高く崩れたままの石垣です([01:01])。
石垣の上には建物が残されており、「このまま落ちてくるのでは?」と誰もが感じるほどの、生々しい崩壊の痕跡が目の前に広がっています。

石垣の崩れた部分を、セメントで固めて崩壊を防ぐ「仮補修」の跡([00:19])。これは、まだ本格的な修復に着手できない箇所の多さを物語っています。

この「仮設の鉄橋」を渡る体験こそが、私たちが今、熊本城を訪れる唯一無二の理由かもしれません。
それは、復興への努力と、自然の力の脅威を同時に肌で感じる「時間旅行」です。

天守は直ったが「完全復興は20年後」という現実

立派な天守閣を見ると、一見「もう大丈夫」と感じますが、その足元に目をやると、復興の道のりの長さを突きつけられます。

実は、熊本城の完全復興には「20年」という試算があるそうです([01:56])。
2016年の熊本地震から数えると、私たちの子ども世代まで続く、息の長いプロジェクトなのです。

天守閣の近くで見られる積み直された石垣は、新しい石材と古い石材が混ざり、色がくっきりと分かれています([02:06])。
この「色違いの石垣」こそが、加藤清正が築いた約400年の歴史と、現代の修復技術が交錯している、非常に象徴的な光景です。
時間が経てば馴染むでしょうが、今は復興のプロセスそのものが見えています。

熊本城は、加藤清正の城として有名ですが、江戸時代の大半は細川氏の領地だったという歴史もあります([03:51])。天守閣まで歩く長い道のり([03:08])を、その歴史に思いを馳せながら歩いてみてください。

平日でも人が多い理由—「訪れる」ことが最大の応援

私たちがお城を訪れたのは平日にもかかわらず、多くの観光客で賑わっていました([05:21])。

なぜ、これほどまでに人々は復興途中の熊本城を目指すのでしょうか?

それはきっと、「その壮絶な姿を見て、復興を応援したい」という気持ちと、「二度と見られないかもしれない、今の姿を目に焼き付けておきたい」という歴史的衝動があるからでしょう。

天守閣の内部から見る熊本市内の景色も絶景でした([04:53])。

この城は、西南戦争の戦場となった歴史の舞台でもあります([05:02])。傷だらけになっても立ち続ける熊本城の姿は、私たちに勇気を与えてくれます。

この動画を通じて、少しでも熊本城の「今」の状況が伝われば嬉しいです。

現場の迫力をぜひ動画で!

このブログ記事を読んで少しでも心を動かされた方は、ぜひ動画で現場の迫力を感じてください。天守閣までの道のりや、崩れた石垣のリアルな様子を収めています。

▼【衝撃の真実】仮設の鉄橋から見る熊本城の「今」

https://youtu.be/CRCgbt9whS4

Post date : 2025.11.01 23:18