むるむる ブログ

なんとなく、なんでも雑記

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失敗に慣用な世の中を。
などと、最近よく聞くけど、それは本当にいいことなのだろうか?

殺人やレイプ犯にも、寛容になれと?

私は、このような犯罪を犯した人物には、とても寛容にはなれないし、チャンスを再び与える気にはなれない。
一度の失敗で十分アウト、世の中に野放しにするべきでは無いと思っている。取り返しのつかない失敗だ。

もちろん、ささいなトラブル。発注ミスや、人命に関わりのない設計ミスまで不寛容になれとは言わない。
これらのミスに対しては、今でも十分寛容な社会だと思うけどな。

Microsoft のOS など、失敗ありまくりの状態で出荷されている。そして、日々アップデートで失敗の穴埋めがされているけど、誰も文句言わないじゃん。十分寛容だよ。ゆるすぎるぐらいだと思うけどな。

程度の問題で、ひとくくりに失敗を許容できるようなものではない。
失敗に寛容か、寛容でないか、YesかNoかで論じる事などできない問題なのだ。

どんな失敗なのかの前提ぐらいは提示してほしいよね。

売り上げが上がらないなどという問題、失敗が営業にあるのか、企画にあるのか、設計にあるのか、デザインにあるのか、どうやって切り分けて判断するんだよ。外部から見てもわからんし、中の人間にも、ひょっとしたらわかっていない問題かもしれないよね。

失敗のリスクを計算できる能力 というのは、この問題に対する一つの答えなのかもしれない。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37613

Post date : 2016.01.02 16:07