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「技術力の敗北」ではなかった日本初の民間ジェット挫折の真因
「日本初の国産ジェット旅客機」として大きな期待を集めた三菱スペースジェット(旧MRJ)。
しかしこの機体は、最終的にFAA(米連邦航空局)の型式証明を取得できないまま開発中止となりました。
世間ではしばしば、
と語られがちです。
しかし本当にそうだったのでしょうか?
結論から言えば、
FAA認証を取れなかった理由は「単なる技術不足」ではありません。
むしろ、日本がこれまで経験してこなかった「民間航空機ビジネスの壁」に真正面からぶつかった結果でした。
FAA(Federal Aviation Administration)の型式証明は、
に事実上必須の認証です。
特にリージョナルジェット市場では、
となっています。
つまり、
FAA認証が取れない=世界市場に出られない
ということです。
スペースジェットが直面した最大の問題の一つが、
設計変更の繰り返しでした。
これらは一見「設計ミス」に見えますが、実態は少し違います。
👉 設計変更=技術が低い、ではない
ここが最も重要なポイントです。
一方、三菱は:
結果として、
設計が完成しているのに、基準解釈が変わり、やり直し
という悪循環に陥りました。
スペースジェット開発中に起きた:
これによりFAAは:
👉 MRJは「最も厳しい時代のFAA認証」に挑んでしまった
これは不運としか言いようがありません。
民間航空機は:
最終的に三菱重工は、
「これ以上続けても勝ち筋がない」
と判断しました。
これは技術の敗北ではなく、経営としての撤退です。
ここで重要な視点があります。
失ったもの:
得たもの:
これらは現在、
に確実に活かされています。
三菱スペースジェットがFAA認証を取れなかった理由は、
日本は、
「空を飛ばす技術」は昔から持っていた。
しかし「世界で売る航空機を認証させる技術」は初挑戦だった。
三菱スペースジェットは失敗作ではありません。
それは、日本が初めて世界の民間航空機ビジネスの入口に立った証拠だったのです。
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