主に旅について、それから色々
――地理では勝っていた日本、思想で勝った韓国
アジアの航空ハブといえば、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは「仁川国際空港」だろう。
一方、日本には成田・羽田・関空という大規模空港がありながら、「アジアの乗り継ぎ拠点」としての存在感は、正直に言って薄い。
地理的には日本も韓国も大差ない。
むしろ北東アジアの端に位置する日本のほうが、太平洋横断の中継地として有利だった時代すらあった。
それなのに、なぜ“仁川型ハブ”は日本に生まれなかったのか?
その答えは、空港の大きさでも、滑走路の本数でもない。
もっと根本的な「思想」と「制度」の違いにある。
仁川空港は、単なる巨大空港ではない。
つまり仁川は、
「韓国に来てもらう空港」ではなく
「韓国を経由してもらう空港」
として作られた、極めて戦略的なハブなのだ。
一方、日本の主要空港はどうだったか。
結果として、
**「乗り継ぎに便利な空港」ではなく
「何とか運用している国際空港」**になってしまった。
利便性は抜群だが、
トランジット向けハブとしては物理的に限界がある。
しかし、
という壁を越えられなかった。
仁川が成功した最大の理由の一つは、
**「自国キャリアだけでハブを作ろうとしなかった」**ことだ。
仁川空港は、
といった外国航空会社を、
“お客さん”ではなく“共同プレイヤー”として扱った。
一方、日本ではどうだったか。
結果、日本の空港は
「日本の航空会社が使いやすい空港」
にはなったが、
「世界の航空会社が集まる空港」
にはなれなかった。
仁川は最初から、
を前提に設計されている。
ハブとは、
昼間だけ動く空港では成立しない。
一方、日本では、
が常に運用の前提にあり、
“眠らない空港”を本気で作る覚悟がなかった。
これは善悪の問題ではない。
ただし、ハブ競争では致命的な差になった。
韓国は、
と、非常に割り切った戦略を取った。
対して日本は、
それぞれが地域事情・政治事情を背負った存在で、
「日本の航空ハブはここだ」と言い切れなかった。
結果、
全部がそれなりに便利
でも世界一にはならない
という状態が続いている。
象徴的なのがデルタ航空だ。
かつて成田は、
しかしデルタは、
を選んだ。
理由はシンプルだ。
「使いやすいから」
ただそれだけだ。
ここで一つ重要な視点がある。
日本は、
では、今も世界トップクラスだ。
つまり日本は、
「世界の乗り継ぎ拠点」ではなく
「目的地としての空港」
を選んだとも言える。
日本が仁川型ハブを作れなかった理由は、
最大の理由は、
航空を「国家戦略」より
「生活インフラ」として扱ったこと
だ。
仁川は“戦略の空港”。
日本の空港は“生活の空港”。
どちらが正しいかではない。
ただ、思想が違った。
そしてその違いが、
今日のアジア航空地図を作っている。
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